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東京地方裁判所 昭和45年(行ウ)221号 判決 1973年4月12日

原告 神山助六

右訴訟代理人弁護士 岡村親宜

同 荒井新二

被告 池袋労働基準監督署長 高橋博

右指定代理人 宮北登

<ほか三名>

主文

被告が原告に対し、昭和四三年九月七日付でなした労働者災害補償保険法による休業補償費の不支給処分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者らの求める判決

一  原告の申立

主文同旨の判決

二  被告の申立

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決

第二原告の請求原因

一  原告は、訴外第一スレート工業株式会社に勤務し、スレート製造に従事していたところ、昭和二三年一〇月二三日午後三時三〇分頃同社材料倉庫において、スレート材料のセメント袋(五〇キログラム紙袋入)の運搬中、傍らに一〇数段山積みに積み重ねてあった別山のセメント袋が数個崩れ落ち、原告の右上肢がその中に挾まれそのため右肘部を負傷した。原告はその直後からしばらくは痛みを感じ貼り薬をしていたが、入社早々のことでもあり労災保険の知識などなく、休むことによってやっと得た職を失うのではないかとの心配が先に立ち無理をして出勤した。

二  その后昭和四三年六月頃から、原告は、右環指及び小指のしびれを知覚し同年七月一日東武練馬中央病院で診察を受けた結果、右尺骨神経不全麻痺、右肘関節強直と診断され、同月一六日まで通院加療し、次いで順天堂病院に転医し、右尺骨神経遅発性麻痺と診断され加療した。

三  原告は被告に対し、労働者災害補償保険法に基づき、昭和四三年九月四日、同年七月一日より同月一六日までの右休業期間中の休業補償費の支給を請求したところ被告は、同年九月七日、右疾病をもって業務上の疾病でないとし、右休業補償費不支給の処分をした。

四  原告は、被告の右処分を不服とし、東京労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたが昭和四四年五月九日棄却され、更に同年八月七日労働保険審査会に再審査を請求したが、昭和四五年九月二五日棄却の裁決がなされた。

五  しかしながら、原告の右疾病は、前記負傷により惹起したものである。即ち、原告は前記負傷以外骨折したり負傷したりしたことはなく、前記負傷により、右肘関節部に挫傷等が発生し、その後二〇数年に亘るセメント袋、石綿等の運搬業務に従事していたため、右受傷は進行し、そこに異常化骨を形成し遂に右肘外反を派生しつつ、変形性関節症、右尺骨神経麻痺の現症を招来したものであるから、前記右尺骨神経遅発生麻痺は業務に起因すること明らかであり、被告のなした右休業補償費不支給の処分は事実の認定を誤った違法なものであるから原告は被告に対し右休業補償費不支給の処分の取消を求めるため本訴に及んだ。

第三被告の主張に対する反論

労働者災害補償保険制度の下においては、業務と労働者の負傷又は疾病との間に厳格な相当因果関係を求めるべきではなく、負傷又は疾病についての補償を使用者に負担させることが合理的か否かによって決すべきものであり、かりに右基準によらないとしても、修正された相当因果関係である法的因果関係の有無によってその関係を把握すべきである。

第四被告の主張

原告主張の請求原因一のうち、原告がその主張の会社に勤務し、スレート製造に従事していたこと、原告がその主張の日時に受傷したことは認めるが、その受傷内容およびその他の事実は不知。同二の事実は不知、同三、四の事実は認める。同五の主張は争う。原告の本件休業は昭和二三年一〇月二三日原告の勤務する訴外第一スレート工業株式会社倉庫において就業中に受傷し、それに起因した疾病によるものではない。すなわち、原告が右日時場所において受傷したことは認められるが、右受傷は右肘部の挫傷程度のものであり当時医師の診療も受けずに貼り薬で治し、会社も休まなかった程度のものであって、その後約二〇年経過した昭和四三年六月に至り右受傷が原因となって突然本件症状をひき起したとは到底考えられず、またその後長年にわたる業務への従事によって本件症状をひき起したものとも認め難い。そもそも職業性疾病以外のその他「業務に起因すること明らかな疾病」については、事故による「災害性疾病」であると否とを問わず、特に当該疾病について具体的に業務との因果関係が明らかに立証されることを要するものである。また、前記の如き状況にある本件にあっては、本件休業原因となった昭和四三年六月における疾病と、昭和二三年一〇月二三日の受傷との間の相当因果関係が明らかでなく、また原告は前記受傷後は従来より軽い作業に従事していたものであって、これと現病状との因果関係も明らかでない。要之、原告の本件疾病は業務に起因すること明らかな疾病とすることはできない。原告の主張する肘の外反変形は程度は軽いが、反対側の左側にも認められ、先天的なものと考えられるところ、右外反肘があれば尺骨神経臼は外傷と関係なく発生し、外傷を唯一の原因とすることはできず、原告主張の変形性肘関節症の発生も生来の外反肘の素因のもとに生じたもので外傷が直接原因とは考えられず、遅発性尺骨神経麻痺はこれら外反肘のためで、変形性肘関節症の過剰化骨の圧迫ではない。被告の前記休業補償費不支給処分は適法である。

第五証拠関係≪省略≫

理由

一  原告主張の請求原因一のうち、原告が訴外第一スレート工業株式会社に勤務してスレート製造に従事していたこと、原告がその主張の日時に受傷したことおよび同三、四の事実については、当事者間に争いがない。

二(1)  本件受傷について

≪証拠省略≫によれば、昭和二三年一〇月二三日午後三時三〇分頃、原告はセメント袋(五〇キログラム入り)を一階倉庫から二階工場まで肩にかつぎ運搬する作業に従事中、右袋をかつぎ上げようとした際、傍の十数段山積みになっていたセメント袋の一部(三、四袋)がくずれ落ちて原告の体に当り、原告はその衝撃で仰向けに転倒したが、その際原告の胸部・右腕部がそれらのセメント袋の下敷きになったこと、原告は直ちに独力で右腕を右セメント袋の下から抜きとって、立上ったものの、右腕肘附近に痛みを感じたので、当日の残りの運搬作業を中止し、終業時まで休業していたこと、その后帰宅し、ぬり薬を貼り、妻に右肘部をマッサージさせる等の手当を行なった結果、痛みはやや軽減したが、完全に痛みがなくなったのはその後三、四ヶ月たってからのことであったこと、その間はり薬を貼り、家族の者にマッサージをさせる等の素人療法をやった外には医師の診察も治療もうけず、会社での作業は、従前よりも軽い作業に従事していたが、会社も休まなかったことが認められ、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(2)  本件受傷後、本件疾病となるまでの経過

≪証拠省略≫によれば、前記認定のように受傷後約半年位は、痛めた右腕をかばいながら片付け作業、煙突運搬作業、巻取り作業等の軽作業に従事し、痛みがとれた後も右作業を継続し、従前のセメント袋等の重量物運搬作業には昭和二七年頃から従事するに至ったこと、ところで昭和二六年頃、右前腕がやや延びず、曲がった状態になっているのに気づいたが、特に痛み等を感じないため、そのまま放置していたこと、昭和三三年頃、右肘部に軽い痛みがあり、接骨院に通院、治療を受け、一週間位で痛みもとれたため再び通勤するに至ったこと、その後昭和四三年六月下旬頃、右手環指、小指部分にしびれを感じ、水に漬けると突端が痛んだため、東武練馬中央病院で診察を受けた結果同年七月一日右尺骨神経不全麻痺、右肘関節強直の診断を受け、同月一六日まで通院加療、その後同年七月一九日順天堂医院では右尺骨神経遅発性麻痺の診断を受け、同病院で同年八月一五日手術を受けたこと、会社へは同年七月一日以降同年一〇月七日現在欠勤していることが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(3)  本件受傷と本件疾病との関連性

≪証拠省略≫によれば、原告の本件主訴の原因である右尺骨神経遅発性麻痺は、右肘の著名なる変形性関節症によるものであること、肘部における変形性関節症は一次性のものは稀で多くは肘関節の外傷又は炎症後に漸次に発生する二次性のものであり、高年の男子労働者にみられるものであることが認められ(る。)≪証拠判断省略≫

≪証拠省略≫によれば、原告は本件受傷以外には受傷経験がなく、又本件受傷以前は右肘は正常であったこと、原告は本件受傷については、必ずしも医者にかかる必要を認めなかったからではなく、入社早早で会社を休みづらく、金もなかったので医師の治療も受けなかったこと、前記原告の右肘の変形性関節症は原告の右受傷に起因するものと考えるのが妥当であることを認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫

右事実に前記各認定事実を総合すれば、原告の本件疾病は業務に起因することが明らかなものと解するのを相当とし、従って、原告の本件疾病は業務上の疾病というべく、これと異る判断の下に原告に対し、本件休業補償費を支給しないこととした被告の本件処分は事実の認定を誤ったもので取消を免れないから、原告の本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中島恒 裁判官 根本久 戸田初雄)

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